財政=軍事国家

http://park.saitama-u.ac.jp/~yanagisawa/history00/militarystate.htmlより

 

財政軍事国家
さて、歴史学者J.ブルーワは The Sinews of Power(1989) の中で 「財政軍事国家(Fiscal Military State)」という概念を提起し、 18世紀イギリスの特徴をクリアに描き出した。 17世紀末から19世紀初のナポレオン戦争まで、イギリスはフランスとの戦争に勝ち続けた。フランスは人口がイギリスの4倍あり、経済力もだいたい4倍あった。にもかかわらず、戦争に勝てなかったのである。このパラドクスを説明したのが財政軍事国家である。 イギリスはフランスとの覇権争いのために軍事費を増大させた。 一人あたりの税額はイギリスはフランスの2倍近かったといわれている。 ブルーワによれば、それだけの徴税が可能であったから、対仏戦争に勝利できたというのである。かつてのフランスのイメージは、強力な絶対主義が実行された国家で、民主主義の進んだイギリスと比べればはるかに重税を課す国家というものであった。しかし、ブルーワの議論に従えば、イギリスこそ重税国家の典型ということになる。フランスは近代的な官僚制の発展が遅れたために、まともに機能する徴税システムが存在していなかったのである。

ここでブルーワも依拠している、P.オブライエンの議論を紹介しておこう。 イングランド政府は重商主義戦争にかかった莫大な費用を短期の一時金として借り入れ、 その借金は長期の国債に借り替えていくという手法(「借換制度」)をとった。 この借換制度が機能したのは、 政府の徴税能力が高かったために国債に信用があったからである。 国債の利払いの必要から、名誉革命から18世紀末にかけて、税負担は実に18倍に増加した。 ヨーロッパ大陸専制国家と比較して、国民所得に占める税の割合ははるかに高かった。 オブライエンによれば、国民所得の40%が合法・非合法に税金から免れていたと仮定すれば、 残りの有効な課税ベースから税徴集される割合は、 1700年の15%から1810年の30%へと上昇したことになる。

経済成長がこのような高い税を可能にしたと考えられるかもしれない。 しかし、経済成長に合わせて課税していたとすれば、 1810年時点では実際の税収の2,3割程度しか徴税できなかったことになる。 つまり、経済成長は税収増加の主要な要因ではない。 課税ベースが拡大していったのが主要な要因である。

名誉革命時点では土地にかけられる税が歳入全体の47%を占めていたが、 18世紀末になるとその割合は21%へと低下していく。 この期間に税の大半は商品やサービスにかけられる間接税へと変化していった。 税の種類は次第に増加していった。 関税対象も含めると、窓、馬車、召使、砂糖、茶、塩、石炭、ロウソク、レンガ、 木材、石鹸、ビール、ワイン、煙草、新聞、火災保険、等々へとである。 18世紀末になると、所得税が導入されていく。

参照文献:
P.オブライエン『帝国主義と工業化1415-1974』(ミネルヴァ書房)
同書訳者解説(秋田茂)

参考文献 付記:ブルーワの本が翻訳されました。興味にある方はチャレンジしてみて下さい。大変おもしろい本です。
ブリュア『財政=軍事国家の衝撃』(名古屋大学出版会)